
レコンキスタとコロンブスのアメリカ大陸到達(1492年)は、一見まったく別の出来事のように思えるかもしれませんが、実は深くつながっているんです。この二つの歴史的出来事は、同じ年に起こっただけでなく、精神的にも政治的にも連続した動きだったのです。では、どうしてレコンキスタの完成がコロンブスの航海につながっていったのか、その関係をわかりやすく見ていきましょう。
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まず、レコンキスタが終わったことで、スペイン王国(カスティーリャとアラゴン)は新しい目標を持つようになりました。
グラナダ陥落(1492年)で約800年にわたる戦争が終わり、カトリック両王は国内の統一と平和を達成しました。しかし、それまで戦争に使われていた軍事力や財政、人的資源は、次の「戦いの場」を必要としたのです。その矛先が海外進出、つまり新たな征服へと向かいました。
レコンキスタの間、キリスト教徒にとって「異教徒と戦い、土地を奪い返すこと」は神聖な使命でした。イベリア半島でその使命を果たしたあと、次にそれを実行する場として新世界(アメリカ大陸)が選ばれたわけです。つまり、レコンキスタの「聖戦」の精神がそのままコロンブスの航海にも影響していたのです。
レコンキスタの最終目標はカトリックによるイベリア半島の完全支配でした。この考えが、さらに世界の他の地域にも広げられていきます。
レコンキスタの終わりと同時に、スペインは「異教徒(ムスリムやユダヤ人)を改宗させる」という宗教的目標を強く掲げるようになります。この考え方がそのまま新大陸の先住民に対する布教という形で展開され、コロンブスの航海もまたキリスト教拡大の一環として支持されたのです。
コロンブスの航海にはキリスト教世界の拡大という明確な宗教的理由があり、ローマ教皇の後押しも受けていました。レコンキスタで育まれた「カトリックの覇権」をさらに世界へ広げる、いわばグローバル・レコンキスタの始まりだったのです。
戦争が終わり、グラナダ王国から得た戦利品や貢納金、またユダヤ人追放による財産没収など、スペイン王室は財政的に潤いました。
イザベル女王が「コロンブスへの援助」を決められたのも、レコンキスタ後で戦争資金を振り向ける必要がなくなったことと関係しています。それまでは戦争に回していたお金を、今度は大航海計画に回すことができたのです。
レコンキスタで戦った騎士や兵士たちは、戦いが終わっても「戦場」を求めていました。その新しい戦場が新大陸だったのです。このように、レコンキスタの精神と実践がそのままアメリカ大陸征服へと移ったわけですね。
レコンキスタを通じてスペインが確立した征服と支配のモデルは、そのまま新大陸の植民地支配に応用されました。
レコンキスタで異教徒の土地と労働を支配するために生まれたエンコミエンダ制(保護と引き換えに労働を強制する制度)は、アメリカ大陸でも先住民への支配方法としてそのまま導入されました。
レコンキスタで「異教徒から土地を奪うことは神の意志」とされた考え方が、アメリカ大陸でも「異教徒(先住民)をキリスト教に改宗させるための戦い」として正当化されました。つまり、アメリカ征服は「新たなレコンキスタ」ともいえるのです。
1492年にグラナダが陥落し、その数か月後にコロンブスがアメリカ大陸に到達したという歴史の流れは、偶然ではありませんでした。
イベリア半島でレコンキスタが完了した直後、スペインの視線は大西洋の彼方に向かいました。新たな「征服地」を求めて、コロンブスの航海が実現したわけです。
レコンキスタによって国内を統一したスペインは、その勢いで世界帝国への道を歩み始めたのです。
このように、レコンキスタとコロンブスのアメリカ大陸到達は精神的にも政治的にも深く結びついた出来事だったのです。レコンキスタの勝利がなければ、スペインの海外進出は難しかったかもしれません。そしてコロンブスの航海は、レコンキスタの「異教徒征服と布教」の精神を、イベリア半島から世界へと広げる新しい章の始まりだったともいえるわけですね。