
レコンキスタというと、多くの人がスペイン(当時のカスティーリャやアラゴン)を思い浮かべるかもしれませんが、実はポルトガルも非常に重要な役割を果たしていました。むしろ、レコンキスタの成功と並行してポルトガルという国家そのものが生まれたと言っても過言ではありません。では、ポルトガルがレコンキスタで果たした役割を詳しく見ていきましょう。
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ポルトガルはもともとレオン王国(スペイン北西部を中心とするキリスト教国)の一部でした。しかし、レコンキスタの過程で南への領土拡大を進める中で、アフォンソ・エンリケス(アフォンソ1世)が1139年にポルトガル王国の独立を宣言します。そして1143年にはレオン王国もこの独立を承認しました。つまり、ポルトガルという国自体がレコンキスタの戦いの中から誕生したのです。
独立したポルトガルはすぐに、南部のイスラーム勢力(ムワッヒド朝など)への攻撃を本格化させていきました。実はポルトガルはスペインよりも大分早くに独自のレコンキスタを開始していたのですね。
ポルトガルのレコンキスタの中でも特に重要なのがリスボン奪還です。アフォンソ1世の指導のもと、ヨーロッパから来た第2回十字軍の一部であるフランス、イングランド、フランドルの騎士たちの協力を得て、1147年にイスラーム勢力からリスボンを奪還しました。この出来事によって、ポルトガルは大西洋への玄関口を手に入れ、後の海洋進出の基礎ができたのです。
その後もレコンキスタを進め、1249年にはアルガルヴェ地方(ポルトガル南部)を完全に征服します。これにより、ポルトガル領土のレコンキスタは事実上完了したことになります。つまり、スペインよりも約250年も早く、自国領土内のイスラーム勢力を一掃したわけです。
ポルトガルでは、レコンキスタの戦いが進む中で、王権が強化されました。王が主導してイスラーム勢力と戦い、奪還した土地を騎士や修道会に分配することで、軍事貴族を従わせ、国家体制がしっかりと築かれていったのです。
特にポルトガルでは、テンプル騎士団やアヴィス騎士団といった軍事修道会がレコンキスタに大きな役割を果たしました。彼らは戦場で活躍すると同時に、奪還した土地に城塞や町を築き、支配の拠点を作りました。
スペイン(カスティーリャやアラゴン)が1492年にレコンキスタを完了させるよりも、ポルトガルは1249年には事実上、自国のレコンキスタを終えていました。そのため、13世紀後半からポルトガルは次のステージである大西洋進出やアフリカ探検に目を向けていくようになります。
レコンキスタによって大西洋沿岸を完全に掌握したポルトガルは、その地理的優位を活かし、14世紀以降大航海時代の先駆者となります。つまり、ポルトガルの海洋進出はレコンキスタの成果によって可能になったともいえるのです。
ポルトガルがレコンキスタにおいて果たした役割は、
という非常に大きなものでした。つまり、ポルトガルの誕生と成長そのものがレコンキスタの戦いの中で築かれたといえるのです。
このように、ポルトガルは単なる「レコンキスタの一部」ではなく、独自にレコンキスタをやり遂げ、しかもその成功によって国家として飛躍していったんですね。そしてその後、海の向こうの世界に乗り出していく流れにまでつながっていくのが、また歴史の面白いところです!