
レコンキスタは、711年のイスラーム勢力によるイベリア半島侵攻から始まり、1492年にグラナダ陥落をもって完了しました。この約800年にわたる戦いの開始年と終了年には、それぞれ歴史を大きく変える出来事が起こっています。では、711年と1492年にどのような出来事があったのか、詳しく見ていきましょう。
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この年、イベリア半島は大きな転換点を迎えました。
711年、ウマイヤ朝の将軍ターリク・イブン・ズィヤードが、北アフリカからジブラルタル海峡を渡り、イベリア半島へと侵攻しました。彼の率いる軍は、主にベルベル人とアラブ人で構成されていました。
同年、イスラーム軍と西ゴート王国の軍勢がグアダレーテの戦いで激突しました。この戦いで西ゴート王ロデリック(?-711)が戦死し、王国の支配体制は崩壊。これをきっかけに、イスラーム勢力は急速にイベリア半島を征服していきました。
グアダレーテの戦いの勝利後、イスラーム軍はトレド(西ゴート王国の首都)を制圧し、続く数年間でイベリア半島の大部分を支配下に置きました。これにより、イベリア半島はアル=アンダルスと呼ばれるイスラーム世界の一部となり、キリスト教勢力は北部の山岳地帯へと追いやられました。
約800年に及ぶレコンキスタが、ついにこの年に完結しました。
1492年1月2日、イベリア半島最後のイスラーム国家であったナスル朝グラナダ王国が、カスティーリャ王国とアラゴン王国の軍に降伏しました。カトリック両王(イサベル1世とフェルナンド2世)はグラナダのアルハンブラ宮殿でイスラーム王ボアブディルから降伏の鍵を受け取り、これをもってレコンキスタは正式に完了したのです。
同年、カトリック両王はクリストファー・コロンブスに航海資金を提供し、彼は西へ向かって出航。10月12日、アメリカ大陸(バハマ諸島)に到達しました。これは、スペインが大航海時代へと突入するきっかけとなった歴史的な出来事でした。
1492年3月31日、カトリック両王はアルハンブラ勅令(ユダヤ人追放令)を発布しました。これにより、スペインに住むユダヤ人は、キリスト教に改宗しない限り退去を命じられました。レコンキスタ完了後、スペインはカトリック国家としての統一を推し進めるようになったのです。
レコンキスタの開始年と終了年は、それぞれヨーロッパとイスラーム世界の勢力図を大きく変えました。
711年にはイスラーム勢力がイベリア半島を支配し、キリスト教勢力は北部に追いやられました。一方、1492年にはキリスト教勢力が完全勝利を収め、イスラーム勢力が排除されることになりました。
711年のイベリア半島は、西ゴート王国の崩壊後、イスラーム支配のもとで新たな文化と統治体制が形成されました。1492年には、スペイン王国が誕生し、強力な中央集権国家へと変貌しました。
711年のイスラーム勢力の侵攻は、ヨーロッパとイスラーム世界の関係を根本的に変えました。一方、1492年は大航海時代の幕開けを告げ、スペインが世界帝国へと歩みを進める転機となったのです。
このように、711年のイスラーム勢力の侵攻がレコンキスタの始まりとなり、1492年のグラナダ陥落によってこの長い戦いは終結しました。その結果、イベリア半島はキリスト教の支配下に入り、スペインとポルトガルが世界史の中心へと躍り出ることになったのです。