
レコンキスタというと「イベリア半島の中」での戦いを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、実はその延長線上でモロッコ(北アフリカ)への進出も重要な目標の一つだったのです。では、なぜレコンキスタの一環としてモロッコ進出が重視されたのか、その理由をわかりやすく解説しますね。
|
|
そもそも、8世紀にイスラーム勢力がイベリア半島へ侵攻してきたとき、その出発地は北アフリカ(現在のモロッコ)でした。つまり、イベリア半島のイスラーム支配は、北アフリカを拠点に行われたものだったのです。
そのため、キリスト教勢力にとって本当の意味での安全を確保するためには、単にイベリア半島からムスリム勢力を追い出すだけでなく、北アフリカにいる勢力(ムワッヒド朝、マリーン朝など)を叩かない限り、再び侵攻されるリスクがあったわけですね。
また、レコンキスタの間、イスラーム側のムラービト朝(11世紀)やムワッヒド朝(12世紀)などモロッコを中心とする王朝が、イベリア半島のイスラーム国家(たとえばアンダルス諸王国)をたびたび支援していました。つまり、イベリア半島でイスラーム勢力と戦うには、その後ろ盾となっているモロッコを制圧する必要があったのです。
モロッコはイベリア半島から見てジブラルタル海峡を挟んだすぐ向こうにあり、古くから金、奴隷、象牙などアフリカ内陸部との交易ルートの入り口でした。
つまり、レコンキスタを進めたカスティーリャやポルトガルにとって、モロッコを支配することはイスラームの脅威除去だけでなく、経済的な利益も期待できる重要な一手だったのです。特にポルトガルはサハラ交易を狙い、積極的にモロッコへ進出していきます。
モロッコの港(セウタ、タンジールなど)は大西洋と地中海を結ぶ交通の要衝でもありました。これを抑えることで、貿易の支配や軍事的な優位が得られるため、ポルトガルやスペインにとって非常に戦略的な価値があったのです。
実は、レコンキスタ完了前の1415年にポルトガルはモロッコのセウタを攻略しており、これがポルトガルの海外進出の第一歩となりました。つまり、ポルトガルはイベリア半島内のレコンキスタと同時進行で、アフリカ側にも手を伸ばしていたのです。
スペインもまた、レコンキスタ完了後の16世紀に、モロッコの港湾都市(たとえばメリーリャ、オラン、アルジェなど)を占領し、イスラーム勢力への対抗とアフリカ進出を強めました。これらの動きは「レコンキスタの延長」と位置づけられることも多いです。
レコンキスタの終わりとともに、スペインやポルトガルではカトリック教会の影響が強まります。そして、「イベリア半島を奪還したのだから、次は異教徒の支配するアフリカをもキリスト教化しよう」という発想が生まれました。これがモロッコ進出の宗教的な正当化にもつながっていたのです。
つまり、モロッコ進出は単なる戦略や経済目的だけでなく、レコンキスタで育まれたキリスト教的「聖戦」の精神がイベリア半島外に拡張したとも言えるのです。
このように、レコンキスタの目標はイベリア半島だけじゃなく、その先のアフリカ=モロッコにも広がっていたんですね!だからこそ、レコンキスタの精神は「終わった」わけではなく、モロッコ進出や大航海時代へと続いていったというわけです。