レコンキスタが本格化したのはいつからなの?

レコンキスタは、711年のイスラーム勢力によるイベリア半島侵攻から始まりましたが、本格的にキリスト教勢力が巻き返しを図るようになったのは、11世紀以降のことです。この時期になると、軍事・経済・宗教の面で大きな変化があり、キリスト教諸国が積極的に領土を奪還するようになっていきました。では、レコンキスタが本格化した背景を詳しく見ていきましょう。

 

 

11世紀にレコンキスタが加速した理由

11世紀に入ると、キリスト教勢力が次第に優位に立ち始めました。その要因を見ていきましょう。

 

イスラーム勢力の分裂

かつてイベリア半島を支配していた後ウマイヤ朝(929 - 1031)が崩壊し、領土はタイファ諸国と呼ばれる小王国に分裂しました。これにより、イスラーム勢力は統一的な軍事行動がとれなくなり、キリスト教諸国にとって攻めやすい状況が生まれたのです。

 

キリスト教諸国の台頭

一方で、キリスト教勢力の内部ではカスティーリャ王国アラゴン王国が台頭し、強力な軍事力を持つようになりました。特にカスティーリャ王フェルナンド1世(1015 - 1065)は、イスラーム勢力に積極的に攻撃を仕掛け、タイファ諸国を服従させていきました。

 

ローマ教皇の支援

11世紀後半、カトリック教会はレコンキスタを聖戦と位置づけ、軍事的・宗教的支援を行うようになりました。これは、1095年に始まる十字軍とも関連し、ヨーロッパ全体で「異教徒との戦い」が正当化されていったのです。

 

具体的な転換点となった戦い

レコンキスタが本格化した11世紀から12世紀にかけて、いくつかの重要な戦いがありました。

 

トレドの奪還(1085年)

カスティーリャ王アルフォンソ6世(1040 - 1109)は、1085年にトレドを攻略し、キリスト教勢力にとって象徴的な勝利を収めました。トレドはかつて西ゴート王国の首都だった都市であり、その奪還はレコンキスタの大きな前進を意味したのです。

 

サグラハスの戦い(1086年)

トレド奪還に危機感を抱いたイスラーム勢力は、ムラービト朝(北アフリカのベルベル系王朝)をイベリア半島に招き、1086年のサグラハスの戦いでキリスト教勢力に大勝しました。しかし、この勝利は決定的なものとはならず、レコンキスタの流れを止めることはできませんでした。

 

ナバス・デ・トロサの戦い(1212年)

12世紀後半から13世紀にかけて、イスラーム勢力は再びムワッヒド朝(北アフリカの新勢力)によって統一されましたが、1212年のナバス・デ・トロサの戦いでキリスト教勢力に大敗を喫しました。この戦いを機に、イベリア半島のほぼ全域がキリスト教国の支配下に入ることになりました。

 

レコンキスタが決定的に進んだ13世紀

13世紀に入ると、キリスト教勢力は圧倒的な優位に立ち、次々とイスラーム領を征服していきました。

 

コルドバ・セビリアの陥落

カスティーリャ王フェルナンド3世(1201 - 1252)は、1236年にコルドバ、1248年にセビリアを奪還し、イベリア半島南部の大部分をキリスト教勢力の支配下に置きました。

 

グラナダ王国の成立

最後に残ったイスラーム勢力は、ナスル朝グラナダ王国(1238 - 1492)でした。しかし、この王国はカスティーリャに朝貢する形で存続を許されたため、もはやレコンキスタの脅威にはなりえなかったのです。

 

このように、レコンキスタが本格化したのは11世紀以降でした。イスラーム勢力の分裂、キリスト教諸国の台頭、そしてローマ教皇の支援が重なり、キリスト教勢力は攻勢に転じていったのです。そして13世紀には決定的な勝利を収め、レコンキスタの流れが確実に固まっていきました。