
レコンキスタの完了(1492年)は、単にイベリア半島のキリスト教勢力による領土奪還の終わりを意味するだけではなく、植民地時代の幕開けにもつながる重要な転換点となりました。では、なぜレコンキスタの完了が植民地時代の始まりと密接に関係しているのか、政治・経済・軍事・宗教の観点から詳しく見ていきましょう。
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1492年にイベリア半島のイスラーム勢力を完全に排除したことで、スペインとポルトガルは新たな目標を求めるようになりました。
レコンキスタの間、スペインの騎士や貴族は「異教徒から領土を奪う」ことで名誉や富を得ていました。しかし、1492年にグラナダ王国が陥落し、イベリア半島での戦争が終結すると、戦士たちは新たな戦場を求めるようになりました。これがアメリカ大陸の征服へとつながったのです。
レコンキスタの長い戦いの中で、スペイン人は騎兵戦術や包囲戦に熟達していました。これらの戦術は、のちのアステカ帝国やインカ帝国を征服する際に大いに活用されることになります。
1492年は、レコンキスタ完了とともに、大航海時代の始まりを告げる年でもありました。
レコンキスタが終わった直後、カトリック両王(イサベル1世とフェルナンド2世)はクリストファー・コロンブスに航海資金を提供し、彼は西へ向かって出航しました。同年10月12日、アメリカ大陸(バハマ諸島)に到達し、スペインの海外領土拡大の第一歩を記しました。
1494年、スペインとポルトガルはトルデシリャス条約を締結し、地球を二分してそれぞれの植民地支配圏を決定しました。これは、レコンキスタ完了後のスペインとポルトガルが次なる征服地を求めて世界へ進出していった証でもあります。
レコンキスタは単なる戦争ではなく、カトリックによる異教徒の征服と改宗を目的とした宗教戦争でもありました。この考え方は、新大陸の支配にもそのまま受け継がれました。
レコンキスタの過程で、スペインはイスラーム教徒やユダヤ人を改宗させる政策をとりました。同様に、アメリカ大陸の征服後も、先住民にキリスト教を広めることが正当な使命とされ、強制的な布教が行われました。
レコンキスタで使われた「異教徒を征服し、カトリック世界を拡大する」という理論は、そのまま新大陸にも適用されました。スペインは、アステカやインカの征服を単なる領土拡大ではなく、神の意志によるものと正当化したのです。
レコンキスタの間に確立された経済システムは、新大陸の植民地経済にも大きな影響を与えました。
レコンキスタ後、スペインはエンコミエンダ制という制度を採用しました。これは、征服者(貴族や騎士)が土地と住民を管理し、彼らにカトリックを布教する代わりに労働力として利用する仕組みでした。この制度は、新大陸でもそのまま適用され、先住民の強制労働が行われることになったのです。
レコンキスタの終結後、スペインはアメリカ大陸の金銀を獲得し、これがヨーロッパ経済に大きな影響を与えました。新大陸からの大量の金銀がヨーロッパにもたらされ、価格革命(物価の急上昇)を引き起こしました。
レコンキスタ完了後、スペインとポルトガルはヨーロッパの超大国となり、世界の勢力バランスが変化しました。
レコンキスタを終えたスペインとポルトガルは、16世紀に世界帝国を築きました。スペインは中南米を、ポルトガルはアフリカ・アジアを支配し、両国はヨーロッパの覇権を握ることになります。
スペインとポルトガルの植民地支配に対抗し、17世紀にはイギリスやオランダも海外進出を開始。これがやがてヨーロッパ諸国による世界分割へと発展していきました。
このように、レコンキスタの完了は植民地時代の幕開けと密接に関係していました。戦士文化の継承、新たな領土の必要性、宗教的使命感、経済システムの継承——これらが組み合わさり、スペインとポルトガルは大航海時代へと突入。イベリア半島を巡る戦いが終わると、その戦場は新大陸へと移っていったのです。