レコンキスタ完了でヨーロッパの勢力図が激変したワケ

レコンキスタの完了(1492年)は、単にイベリア半島の中でのイスラーム勢力追放にとどまらず、ヨーロッパ全体の勢力図を大きく塗り替える歴史的な転機となりました。それまでのヨーロッパは分裂と対立が続いていましたが、レコンキスタが終わると、スペインとポルトガルという新たな「超大国」が誕生し、彼らの登場によってヨーロッパの力関係が一気に変わったのです。では、具体的になぜレコンキスタ完了によってヨーロッパの勢力図が激変したのか、順を追って見ていきましょう。

 

 

巨大な統一王国スペインの誕生

カスティーリャとアラゴンの合体

レコンキスタの過程で成長したカスティーリャ王国アラゴン王国が、イザベル1世フェルナンド2世の結婚(1469年)によってスペイン王国として統一されます。そして1492年のグラナダ陥落で、イベリア半島のほとんどを統一したスペインは、一気にヨーロッパ屈指の大国になったのです。

 

ヨーロッパ内の政治的均衡の変化

それまでフランスやイングランド、神聖ローマ帝国が中心だったヨーロッパの政治において、スペインの急浮上新たな覇権争いの火種となりました。特にフランスとのイタリアをめぐる争い(イタリア戦争)は、スペインの強大化を警戒した動きでもありました。

 

大航海時代への突入とポルトガルの飛躍

ポルトガルのレコンキスタと海洋進出

ポルトガルもまた1249年に自国のレコンキスタを完了させており、その後すぐにアフリカ沿岸探検インド航路発見といった大航海時代に乗り出しました。

 

スペインとポルトガルの「世界分割」

レコンキスタを終えたことで、両国はキリスト教世界の防衛から新たな世界の支配へと目的を変えていきます。そして1494年のトルデシリャス条約によって、両国は新世界(アメリカ大陸)とアジアの分割を約束し、ヨーロッパの勢力争いが大西洋とアジアにまで広がるきっかけとなりました。

 

「イスラーム世界の後退」と「キリスト教世界の拡大」

イスラーム勢力のヨーロッパ撤退

レコンキスタ完了により、イベリア半島からイスラーム勢力が完全に一掃されます。これはヨーロッパにとって宗教的勝利であり、以降は逆にヨーロッパ側がイスラーム世界に対して積極的に攻勢をかける流れが生まれました。

 

オスマン帝国との対立

一方で、東ヨーロッパではオスマン帝国がバルカン半島を支配していたため、スペインはレコンキスタ完了後、その力を地中海や北アフリカに向け、オスマン帝国と地中海覇権を争うようになります。つまり、レコンキスタはヨーロッパとイスラームの戦いの新しいステージを開いたのです。

 

ヨーロッパ内の勢力バランスの変化

スペイン・ポルトガルの「世界帝国化」

レコンキスタを通じて得た軍事力、経済力、組織力をもとに、スペインとポルトガルは海外植民地帝国へと変貌します。結果として、従来の勢力だったフランス、神聖ローマ帝国、イングランドなどは新たな対抗策を迫られることになりました。

 

イタリアや北ヨーロッパへの影響

特にスペインは、イタリア戦争を通じてイタリア半島にも進出し、またハプスブルク家の一員がスペイン王位についたことで神聖ローマ帝国とスペインの二重帝国が誕生。これによりヨーロッパの政治はスペイン=ハプスブルク帝国を中心に動くようになりました。

 

まとめ:レコンキスタ完了で変わったヨーロッパの勢力図

レコンキスタの完了によって、ヨーロッパの勢力図は次のように激変しました。

 

  • スペイン王国の誕生と巨大化(イベリアの統一と大航海時代への参入)
  • ポルトガルの独立とアフリカ・アジア進出
  • イスラーム勢力のヨーロッパからの撤退
  • 地中海をめぐるスペインvsオスマン帝国の新たな対立
  • ヨーロッパの「外への拡大」(新大陸・アフリカ・アジア)
  • スペイン・ハプスブルク帝国の登場によるヨーロッパの覇権争い

 

このように、レコンキスタの完了は単なる「イスラーム勢力の追放」ではなく、ヨーロッパの新しい時代=帝国時代の幕開けだったんですね。そしてそれが、やがて世界中を巻き込む大航海時代とグローバルな争いにつながっていったのです!