
レコンキスタによって最後に滅ぼされた王朝は、イベリア半島に残っていたナスル朝(Nasrid dynasty)です。ナスル朝はグラナダ王国を支配していたイスラーム王朝で、レコンキスタ終盤の約250年間、キリスト教勢力の南下に耐えてきたイベリア最後のイスラーム国家でした。では、ナスル朝がどのようにして滅ぼされたのか、詳しく振り返りましょう。
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ナスル朝は1238年にムハンマド1世によって建国され、イスラーム勢力が次々とキリスト教勢力に押されていく中、グラナダを中心に生き残った最後のイスラーム王朝です。
ナスル朝は、首都グラナダに壮麗なアルハンブラ宮殿を築き、文化や芸術の面で高度な文明を保ち続けたことで知られます。ただし、その背後では常にカスティーリャ王国などとの厳しい外交や軍事圧力にさらされていました。
15世紀後半になると、カスティーリャ王国とアラゴン王国の統一によって誕生したスペイン王国が強大な力を持ち、ナスル朝に対する圧力が一気に強まります。イザベル1世とフェルナンド2世(カトリック両王)は、イスラーム勢力をイベリア半島から一掃する最後の作戦を開始しました。
ナスル朝内部でも、王位継承をめぐる争い(たとえばボアブディルとその父との対立)があり、国家の弱体化が進んでいました。しかも、オスマン帝国など他のイスラーム勢力から十分な支援を受けられなかったため、外交的にも孤立していったのです。
カトリック両王が指導したグラナダ戦争により、ナスル朝の領土は次第に切り取られ、最後の拠点グラナダ市も包囲されました。
1492年1月2日、ナスル朝最後の王ボアブディル(ムハンマド12世)がグラナダを開城し、カトリック両王に降伏しました。このとき結ばれたアルハンブラ条約によって、ムスリム住民の信仰の自由や財産保護が一時的に認められましたが、後に反故にされ、多くのムスリムが追放・改宗を迫られることになります。
レコンキスタの結果、最終的に滅ぼされたのは
です。
このナスル朝の滅亡によって、イベリア半島から完全にイスラーム勢力が姿を消すことになり、約800年続いたレコンキスタが終結しました。
こうして見ると、ナスル朝はレコンキスタの歴史の「最後の相手」だったわけですね。そして、グラナダ陥落は単に一つの国の終わりではなく、イベリア半島における宗教と文化の大転換点でもあったのです!