
レコンキスタと聞くと「戦争」のイメージが強いかもしれませんが、実はこの800年にわたる長い戦いの中で新しい国々が次々と誕生し、今のスペインやポルトガルにつながるヨーロッパの国のかたちが作られていきました。つまり、レコンキスタは「国づくり」の歴史でもあったのです。では、レコンキスタの過程でどんな国が生まれ、どのように成長していったのか、一緒に見ていきましょう!
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レコンキスタの出発点となったのがアストゥリアス王国です。イスラーム勢力がイベリア半島を支配する中、北部の山岳地帯で718年にペラーヨが立ち上げた小さな王国でした。最初の勝利であるコバドンガの戦いが「レコンキスタの第一歩」とされ、ここからキリスト教側の反攻が始まったのです。
アストゥリアス王国から発展したのがレオン王国(910年ごろ成立)です。レオンはキリスト教世界の政治と宗教の中心となり、レコンキスタの前線基地として重要な役割を果たしました。中世イベリア半島で一番強いキリスト教国になり、南への攻撃を続けました。
もともとレオン王国の一部だったカスティーリャは、辺境地域(=「カスティーリャ=城の地」)としてイスラーム勢力と戦ううちに独立心を強め、最終的に11世紀にカスティーリャ王国として独立します。レコンキスタの中期からは最大の勢力となり、後のスペイン王国の中心になります。
北東部ではアラゴン王国がレコンキスタを進めました。アラゴンはサラゴサなど重要な都市を奪還し、地中海沿岸へも進出。のちにはカタルーニャと連合し、東地中海にまで影響を及ぼす強力な王国へと成長します。
ピレネー山脈近くのナバラ王国も、早期からイスラーム勢力に対抗して戦った国です。規模は大きくありませんでしたが、フランスとスペインの境目で重要な役割を果たしました。
西側ではポルトガル王国が生まれました。もともとレオン王国の一部でしたが、レコンキスタの進展に伴い1139年にアフォンソ1世が独立を宣言。1143年には正式に独立国として認められます。その後、南に攻め入り1249年にはイスラーム勢力を完全に駆逐しました。
時には分裂し、時には統合を繰り返していたカスティーリャ王国とレオン王国は、13世紀までに再統一され、巨大な王国となりました。これがレコンキスタ後期にイスラーム勢力に対抗する中心勢力となります。
15世紀になると、アラゴン王フェルナンド2世とカスティーリャ女王イザベル1世が結婚(1469年)し、両王国が連合します。これにより、スペイン王国の実質的な誕生が準備されました。
そして1492年、レコンキスタの最終目標だったグラナダ王国(ナスル朝)が滅亡したことで、イベリア半島のほぼ全土がカトリック王政のもとに統一されます。これがスペイン王国の誕生です。
レコンキスタの過程で成立した、または発展した国々は以下の通りです。
このように、レコンキスタは単なる戦争ではなく、イベリア半島の「国づくり」の歴史そのものだったんですね!そして生まれた国々が、やがて世界を舞台に活躍するようになるんですから、レコンキスタの影響は本当に大きかったんです。