
レコンキスタの終了を象徴する戦いは、なんといってもグラナダ戦役(1482年〜1492年)です。この戦いを通じて、イベリア半島最後のイスラーム国家ナスル朝グラナダ王国が滅亡し、約800年にわたるレコンキスタの歴史が幕を閉じました。では、このグラナダ戦役がどのような経緯で進み、なぜレコンキスタの終わりを象徴する戦いとなったのか、その流れを詳しく見ていきましょう。
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レコンキスタ終盤、イベリア半島の状況は大きく変わっていました。
1469年、カスティーリャ王女イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世が結婚し、イベリア半島の二大キリスト教国がカトリック両王として事実上統一されました。この王権の統一が、イスラーム勢力を一掃する体制を整えることになったのです。
ナスル朝グラナダ王国では、王位継承をめぐる内乱が続いており、安定した政治が保てていませんでした。特に王ムハンマド11世(ボアブディル)とその父アブル・ハサン・アリの間での争いが深刻でした。この内紛がキリスト教勢力の攻撃を許す原因となったのです。
戦役は10年に及ぶ長期戦となりましたが、徐々にキリスト教勢力が優勢となっていきました。
カトリック両王はグラナダ征服を決定し、軍を動かし始めます。最初の大規模な攻撃は、グラナダ王国の城塞都市アラマの包囲でした。これを皮切りに、戦闘は断続的に続いていきます。
戦役が進む中、グラナダ王国の要衝であったロンダがカトリック軍の手に落ち、イスラーム側の防衛線が次第に崩れていきます。この頃から、カトリック軍が都市包囲戦を次々と成功させる流れが確立していきました。
その後グラナダ国内では、王ボアブディル派とその反対派(アブル・ハサン派、さらにはムハンマド13世派)との間で深刻な対立が続き、イスラーム側が団結して抵抗することができませんでした。この内部対立がレコンキスタ側に有利に働いたのです。
カトリック両王はグラナダ市を完全に包囲し、激しい攻城戦を開始します。都市の補給線は断たれ、市民の間に飢餓と疫病が広がり始めました。
ついに王ボアブディルは降伏を決意し、アルハンブラ宮殿の鍵をカトリック両王に手渡しました。これがレコンキスタの終結を象徴する瞬間となったのです。
この戦役には、それまでのレコンキスタとは異なる特徴が見られます。
この時代、戦争の様式が大きく変化し、火薬兵器(大砲)が本格的に使用されました。これにより、イスラーム側の堅固な城塞も次々と破壊され、キリスト教勢力が有利に戦いを進められたのです。
カトリック両王にとって、グラナダの征服は単なる領土獲得ではなく宗教的使命として位置付けられていました。これによって、戦争の成果は「神の勝利」として大々的に宣伝され、国民の統一意識を高める材料ともなりました。
この戦いの終結は、スペインとヨーロッパ全体に大きな変化をもたらしました。
グラナダ陥落によって、イベリア半島は完全にキリスト教の支配下に入りました。以後、ムデハル(イスラーム教徒)やユダヤ人に対する改宗・追放政策が進められます。
カトリック両王のもとでのグラナダ征服は、スペイン王国の統一国家形成を象徴し、強力な中央集権国家への道を開きました。
1492年のレコンキスタ完了とほぼ同時にコロンブスの新大陸到達が実現し、スペインは新たな世界征服(植民地時代)へと踏み出すことになります。
このように、レコンキスタの終了を象徴する戦いはグラナダ戦役であり、その最終局面であるグラナダ包囲戦が勝利したことで、約800年にわたる戦いが終わりました。この戦いの勝利によって、スペインはイベリア半島の完全制圧を果たし、世界へと進出する新たな時代が始まったのです。