
レコンキスタ(イベリア半島の領土回復運動)は、約800年もの長い時間をかけて進んだ歴史的な戦いです。戦争のように一気に決着がついたわけではなく、時にはキリスト教国が優勢になり、時にはイスラーム勢力が盛り返す、まさに一進一退の攻防が続きました。では、レコンキスタの歴史の流れをわかりやすく解説していきます!
|
|
711年、北アフリカのウマイヤ朝(イスラーム王朝)の軍隊が、ジブラルタル海峡を越えてイベリア半島に侵攻しました。当時のイベリア半島は西ゴート王国が支配していましたが、内部抗争で弱体化していたため、わずか数年でほぼ全域がイスラーム勢力に征服されてしまいました。
イスラーム勢力に敗れたキリスト教徒の一部は、イベリア半島北部の山岳地帯に逃れます。そして718年、コバドンガの戦いでアストゥリアス王国のペラーヨがイスラーム軍を破り、ここからレコンキスタ(国土回復運動)が始まりました。
9世紀~10世紀にかけて、イベリア半島北部ではいくつかのキリスト教王国が成立しました。
これらの王国が、徐々に南へと攻め込んでいきます。
1031年、後ウマイヤ朝が滅亡すると、イベリア半島のイスラーム勢力は小国(タイファ諸王国)に分裂します。これによって、キリスト教国は攻めやすくなり、レコンキスタが加速しました。
1085年、カスティーリャ王アルフォンソ6世がトレドを奪還。これにより、キリスト教勢力がイベリア半島中央部へ進出しました。
このままレコンキスタが進むかと思いきや、北アフリカからムラービト朝(11世紀末)やムワッヒド朝(12世紀)がイベリア半島に軍を送り、キリスト教勢力の進撃を食い止めます。
1212年、キリスト教勢力が連合軍を結成し、ナバス・デ・トロサの戦いでムワッヒド朝に大勝。これにより、イスラーム勢力は南部のグラナダ地方まで後退しました。
この勝利の後、キリスト教勢力は急速にイベリア半島を支配していきます。
イスラーム勢力はナスル朝グラナダ王国(1238年成立)として、イベリア半島南部に最後の拠点を残すのみとなります。
1469年、カスティーリャ王国のイザベル1世とアラゴン王国のフェルナンド2世が結婚し、二国が実質的に統一されます。これがスペイン王国誕生の基礎となり、レコンキスタの最終局面へと進みます。
1482年、スペイン軍がグラナダ王国への総攻撃を開始。1492年1月2日、最後のイスラーム勢力であるナスル朝が降伏し、グラナダが陥落。こうしてレコンキスタは完了しました。
このように、レコンキスタは800年という途方もない時間をかけて進んだ戦いでした。そして、この戦いの終結とともに、スペイン・ポルトガルは世界へ進出する大国へと変貌していったのです!